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ロースドルフ城の陶磁器

学習院大学教授  荒川正明

ロースドルフ城の陶磁器

 

オーストリア・ウィーン近郊の古城、ロースドルフ城所蔵の陶磁器の特徴は、その大多数が破壊を受け、破片として残されている点です。西洋では割れたやきものはあっさりと廃棄されてしまうのが慣例ですが、ロースドルフ城を所有するピアッティ家では大切に残し、城の一室を展示室として、陶片をあえて床の上に散らしインスタレーションとして、公開してきたのでした。

この破壊された多数の陶片には、ピアッティ家の並々ならぬ想いが込められています。それは、千年に及ぶロースドルフ城の歴史を振り返ると、度重なる戦禍のなかで、破壊と略奪という受難の歴史が続いてきたからです。とくに15世紀前期のフス派戦争、17世紀の30年戦争、現在のピアッティ家がこの城を所有した1820年代以降では、第二次世界大戦の終戦を挟む数ヶ月間、ロースドルフ城は旧ソビエト軍に接収され、彼らによる破壊で宮殿を飾っていた陶磁器群のほとんどが大破されてしまったのでした。

ピアッティ家は、この城を襲ってきたような悲劇が再び起こらないようにという願いを込めて、破壊された陶片を、城の歴史の象徴として公開展示してきたのです。

このロースドルフ城の陶片ですが、その大半は東洋陶磁で、日本産と中国産の陶磁器が全体の7割~8割位を占めていると判断されます。日本の「古伊万里」と呼ばれる磁器は、17世紀後期から18世紀前期にかけての、いわゆる「金襴手」と呼ばれる華麗なスタイルのうつわが主体を占めています。器種は壺類や大皿などで、金彩が当時のままの輝きを保っている点から、宮殿内の調度品として主に装飾用に置かれていたと考えられます。また、明治時代初期、ウィーン万博に向けて輸出された明治時代の伊万里磁器の秀作も確認されています。

一方、中国産では清朝時代、17世紀後期~20世紀初期の「景徳鎮窯」の製品が多数所持されていました。康熙期(1662~1723)から乾隆期(1736~1796)の色絵磁器はとくに充実しています。

 

他にも、各種の西洋陶磁が確認されています。とくに地元でつくられた磁器としては著名な、ハプスブルグ家の宮廷磁器工房であるアウガルテンの前身「ウィーン磁器工房」の製品が確認される点が特筆されます。他にもドイツ「マイセン」やオランダ「デルフト」、さらにはデンマークの「ロイヤル・コペンハーゲン」、英国の「ウエッジウッド」、イタリア産の「ファイアンス」など、バラエティ豊かなやきものを所持していたのです。

 

古伊万里-日本が生んだ珠玉の磁器

 

わが国で「磁器」が誕生したのは江戸時代の初期で、それは今からおよそ400年前のことでした。豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)をきっかけに、朝鮮半島から多くの陶工が渡来しました。彼らは「陶石」を肥前・有田周辺で見つけ、「古伊万里」と呼ばれる磁器の生産が開始されたのです。

17世紀初期には伝えられていた朝鮮系の技術体系に加えて、17世紀中期には中国系の技術が直接導入され、これによって伊万里磁器が、世界最高の品質を誇る高いレベルに到達したのでした。こうして、1650年代以降の有田は、すでに工場制手工業というべき大きな産業となり、広く海外を相手にするようなグローバルな活動を展開していったのです。

17世紀末期から18世紀前期、西欧の王侯貴族たちは、その美意識に適った古伊万里の蒐集に取り憑かれ、ポースレン・キャビネット(磁器の間)と呼ばれる豪奢な部屋を構えていました。その著名なコレクションとして、ドイツのドレスデンにある、ザクセン選帝候国のアウグスト強王のコレクション、英国国王メリー二世の居城であったロンドン郊外のハンプトン・コート宮殿などがあります。

ザクセン王国とピアッティ家

ピアッティ家の伝承に拠ると、大変興味深い歴史が明らかになります。

 

ピアッティ家は、イタリア・ベネチア共和国 の古い侯爵家で、7 年戦争(1754~1760)の時代からドイツ・ザクセンに定住し、ザクセン王国の宮廷、軍事、 民事の分野 で影響力のある地位を得るようになりました。また、一族の遠戚にはカルロ・ピアッティという陶磁器商人もおり、ザクセン王国にやきものを納品していたのです。ザクセン王国の首都であったドレスデンのアーカイブには、彼の陶磁器取引請願書(1769年)が残されています。この請願書の時代より年代は一世代遡りますが、かのザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト1世(ポーランド王アウグスト2世:1670~1733)、いわゆるアウグスト強王は、当時世界最大の東洋陶磁器の蒐集家でした。


現在の当主から5代前に当たる1820年代後半、ピアッティ家はドレスデンから、オーストリア・ロースドルフに移り住みます。その折、アントン(Anton、1755~1836)と呼ばれる、ザクセン王国の第2代国王から、見事な「白磁壺」を下賜されました。それは、おそらく長期に渡るザクセン王国へのピアッティ家の忠誠に対する、国王からの恩賞だったのかもしれません。細かい作品の調査や分析は今後の課題ですが、「白磁壺」は18世紀中期から後期にかけてのマイセン窯の作と推定される逸品です。

調査・研究・展覧会:荒川正明
日本美術史家。専門は日本陶磁史。学習院大学大学院人文科学専攻修士課程修了。出光美術館主任学芸員を経て、2008年より学習院大学文学部哲学科教授。著書に『日本やきもの史』(美術出版社、1998、共著)、『板谷波山の生涯』(河出書房新社、2001)、『唐津やきものルネサンス』(新潮社、2004、共著)、『やきものの見方』(角川書店、2004)、『日本美術全集10 黄金とわび』(小学館、2013、責任編集)などがある。役職 日本陶磁協会理事、板谷波山記念会理事、今右衛門美術館理事 他